人間は合理的な生き物ではない。
だから人間は投資には向いていない。
そもそも人間は投資をするべきではない。
もし、それでも投資をしようというのなら厳格なルールを決めてそれに従うべきだ。
投資には合理的な判断が求められる
投資とは資産を増加させるために、自身の資産を投下する行為である。
そして、投資先から将来にわたってリターンを得ることで、自身の資産を増加させるという目的を果たす。
そのため、合理的な判断のもとで自身の資産を増やしてくれる有望な投資先を決定しなければならない。
仮に自身の銘柄選定が誤っていたことが発覚した場合には、直ちに投下資金を回収し他の有望な銘柄を見つけなければならない。
一方で、仮に有望な銘柄を見つけたとしても、一時的に株価が下がることもあるだろう。
その際にも合理的な思考をもってして、損切りをすべきか、株価の反発を予測し銘柄を保有し続けるかを決定しなければいけない。
人間に合理的な判断のもと、投資が可能だろうか?
人間は不合理な生き物である
合理的な判断のもとでの投資は、人間には恐らく無理であろう。
なぜなら人間は不合理な生き物だからだ。行動経済学という学問分野が存在するの理由も人間が合理的な生き物でないからだ。
経済活動は全て人間の合理的な行動の結果としてもたらされるわけではないのだ。人間はときに合理的とは到底思えない選択をしてしまう。
詳細は筆者のバイブルとなった「予想どおりに不合理」を参照していただきたい。
例えば、株式投資における人間の不合理な判断のひとつは、8章「高価な所有意識」により説明できる。

人間は投資には向いていない
「高価な所有価値」から説明できる株式市場での人間の不合理な判断をふたつ例に挙げよう。
ひとつめは、私たちは何かを得られる喜びよりも何かを失う嫌悪感を強く感じてしまうことだ。
自身の投資銘柄の値上がりよりも、値下がりに過剰に反応してしまう。
多少の値下がりには動じずにホールドを続けていたとしたら、株価が反発して利益を上げられたかもしれないのに、株価の下落に耐えられずに有望な銘柄を手放してしまう。
評価額がプラス1万円でもマイナス1万円でも、どちらも1万円には変わりないのに実に不合理な判断である。
ふたつめ。
私たちは自身の所有しているものの価値を必要以上に高く見積もってしまう。
保有しづづけていても決して値上がりすることのない銘柄を何年も何十年も大事に持ち続けてしまう不合理な心理がこれにあたる。
そう、人間は投資には向いていないのだ。
人間は投資をするべきではない
では、私たちはどうするべきなのか?
答えは簡単である。
投資をしなければよい。
投資など、システムに任せてしまえば良い。
例えば、筆者も利用しているWealthNaviというロボアドバイザーは顧客のリスク許容度に合わせて全自動で資産運用を行い、安定的に利益を上げてくれる。


FX(外国為替証拠金取引)においてもシステムが自動で取引を行うサービスがいくつも存在する。
アイネット証券のループイフダンというシステムトレードがその一例である。アルゴリズムのシンプルさと透明性が魅力で、もちろん実績も申し分ない。

厳格なルールを決めるべき
それでも自分で投資がしたい場合はどうすれば良いのか?
前章で挙げたWealthNaviやループイフダンは安定的に利益を上げられるものの、資産を爆発的に増やせるというものではない。
資産を何倍・何十倍にも増加させて、アーリーリタイヤ を実現するためには、多少のリスクをとって資産を増やす必要がある。
しかし、人間は不合理な生き物であり、筆者も当然不合理な考えに支配されている。
自身の裁量で投資を行うならば、厳格な投資ルールを設ける必要がある。
そして、相場の変化に流されずに自身の決めた投資ルールに従い、合理的な判断で投資を行う必要がある。本格的な投資を始める前に、まずは厳格な投資ルールを決定する必要がある。
まとめ
投資での成功には合理的な判断が求められる。
しかし、人間は不合理な生き物である。
人間は投資をシステムに任せるべきであるが、自身の裁量で投資を行うのならば厳格な投資ルールを設ける必要がある。
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